『復活節』とは、私達の人生の『春』にあたります。春になると、溶け始めた雪の下から『クロッカス』の花が現れ
、若緑が目立ちます。世には希望が満ち溢れます。これから花達が咲き始めて、新しい美しさが生まれてきます。
同じように、『復活節』に私達の暗闇が消え、冬の寒さ、雪の冷たさのようなものが溶けて、神の光により開放されて
新しい旅の出発が出来るのです。
この季節には過去に洗礼を受けた方が何人か出てきます。その方々は、自分の喜び、戦い、希望、挫折を
私達と共に分かち合って家族となります。毎年、復活祭を祝っていますが年々と少しずつ変わって来ているはずです。
私達は、一年間のうちに、入信(洗礼)の秘跡を見てから、私達が神に選ばれて、闇から光へと移り、暗闇の中から
解放されてきました。だからこそ、私達の中の偽りと憎しみを破り、光の子として歩み始めます。
『クロッカス』の花と同じように、今まで自信のなかったことを行い、神と周りの人々の支えを感じることによって、
別の世界が見えてくるのです。春を祝うことは、年齢と関係ない心のことです。希望が湧いてくる季節です。
だからこそこの季節に、自分の心に目を向け、自分の中に眠っている事を見つけ出してみませんか?
信仰は、私たち自信を解放させるはずです。だからこそ、この復活によって、自分が、
どういう風に自由になっているのかを思い出し、命ある限り、いただいている恵みを精一杯生かして、
生きることが出来ますように。自然だけではなく、私たち自身も、復活させていきましょう。
主任司祭 マイレット・ジェームズ
コスモス便り
教師として最初に赴任した山の中の中学校の卒業生が初めて出ることした。
50年振りの再開である。今月末に東京で行われるその会で
招かれた私は何を言えばいいのだろう。
当時の同僚教師は皆他界し、最も若かった私と
もう一人が最早生きているだけである。
思い出話しか?いや、それでは面白くない。
そうだ、心の話をしよう。「年老いても、の故地の人生をお互い
あの頃の¨熱い心を¨をわすれ内で生きよう」
と言うことにしよう。それは若かった私がいつも彼らに語っていた
ことなのだから。
(T.M)